適応障害だけどなんとなく生きてみる

パニック障害歴10年からの適応障害歴半年の女。 リアル日常をメモでもするかなという程度のアレです。

パニック障害になったきっかけ③

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前回の記事はこちら

 

nemuko-tekiou.hatenablog.com

 

2年ぶりに戻ってきたあのパニックの感覚。

でも2年前は薬飲んだら治ったし、すぐ治るものだろうと思っていました。

 

 

とりあえずまた次同じような症状が出た時のことを考えて、最寄り駅の心療内科をチェックチェック。

チェックはしたものの、まぁ行くことないだろーなーって。

 

でもそのチェックが、この後すごく重要だったと気づくことになります。

 

 

 

数日後。

私はまた同じ得意先に伺うことになり、同じように電車を使って向かう予定でした。

 

最寄りの大きな駅まで歩き、改札を通り、電車待ちの多くの人と同じように列に並び、次に来る電車を待っておりました。

 

 

数分も経たないうちにやってきた電車。

降りてくる無数の人。

続いて乗り込んでいく列の流れ。

私もその列の流れに乗って電車に乗り込もう・・・・

 

 

乗り込も・・・・・??

 

 

なんか乗れない・・・

 

え、なんで?

なんかわかんないけど怖いんですけどw

 

 

まぁ電車は数分おきに次々やってくるし、次のに乗ればいっかと思い、また列に並びなおしました。

 

 

結果、次の電車も、その次の電車も乗れない・・・

 

電車にも乗ってないのに、早くなる鼓動、真っ白になっていく視界。

 

私は朦朧とした意識の中ふらふらとホームから改札のほうへ戻り、改札の隅でうずくまりました。

 

 

とりあえず電車に乗らなきゃ・・・

お客様のところに行かなきゃ・・・

 

頭の中はそれだけでした。

 

 

 

 

震える手で、親友に電話してみることに

幸いなことに親友は電話に出てくれました。

 

「あのさ・・・電車に乗れないんだけど・・・」

『え?どうしたん??』

「自分でもわからないけど、なんか怖くて、目の前真っ白になって。。。」

『帰れないの?』

「いまからお客さんとこ行かなあかんのよ」

『じゃあさ、このまま電話つないどくから、私としゃべりながら乗る?』

「あぁ、それなら乗れるかな。ちょっとやってみる」

 

友達と通話したまま、私はホームに戻り電車を待ちました。

(話した内容はそれ以外一切覚えていませんw)

 

 

 

電車がやってきた・・・

「よし、今から乗るよ・・・」

 

・・・・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・・・

 

いや無理・・・!!

 

 

『うんうん、ゆっくりいこやー』

「う、うん、じゃあ次の電車待つわ・・・ぜぇぜぇ』

 

 

 

結果、またその次もその次も乗れませんでした。

 

 

人でごった返すホームで、汗だくで泣きながらふらふらと歩く私の姿は、ほかの人の目にはどう映ったでしょうか?

 

 

改札の近くまで戻り、友達との電話を切った私は、とあるところに電話をかけました

そう、それはいつかチェックしていた駅近の心療内科です。

 

 

 

 

 

 

それからのことは、正直ほとんど覚えていません。

 

覚えていることは、

・気づいたら病院にいたこと

・バウムテストをやったこと

これだけです。

 

どうやって病院まで行ったのか、どんな先生とどんな話をしたのか、どうやってお薬をもらったのか、病院から家までどのようにして帰ったのか。

思い出そうとしても思い出せません。

 

 

 

それから本格的な、私とパニック障害との闘いの日々が始まったのです。

 

つづきます。