パニック障害になってからの生活①
前回の記事はこちら
心療内科から帰ってからの私は、まるで抜け殻のようでした。
起きることも
ごはんを食べることも
お風呂に入ることも
テレビを見ることも
もう何をすることもできず、ただただ不安だけが頭の中をぐるぐるしていました。
もちろん外にも出ることができない。
私の場合は、家の玄関から一歩も外に出ることができませんでした。
だけど問題があります。
2週間後には、歩いて15分のところにある病院に行かなければいけないっ!!
もう2週間後の通院のことだけで頭がいっぱい。
とりあえず、2週間の間にできるだけのことをチャレンジしてみることにしました。
step1) マンションの集合ポストまで行ってみよう
そこで、ある日私はマンションの集合ポストまで行ってみることにしました。
頓服でもらった抗不安薬を飲んで、心を落ち着けて、玄関のドアをゆっくりあけて・・・
・・・閉めてw
この開け閉めを繰り返し、半日の時間をかけてようやく、集合ポストまで行って戻ってくることができました。
(ちなみにわたしの部屋は2階だったので、往復50歩くらいですw)
step2) マンションから50m先の角まで行ってみよう
これは結構時間がかかりました。
抗不安薬を飲んで外に出ても、マンションの下まで行くと目の前が真っ白になってうずくまり、しばらく動けず部屋に戻る。この繰り返しを何回やったことか。
ようやくマンションから離れることができても、5m先の電柱でうずくまり、意識がはっきりしてきたら、次の目印まで行き またうずくまる。
近所の人が見たら、もう完全に不審者です
たった50m先の交差点まで行くだけなのに、家から離れるのがこんなに怖いなんて。
数日をかけてようやく成功しました。
step3) マンションから150m先のスーパーに行ってみよう
これはstep2の「50m先の角チャレンジ」の成功率が上がってきて、次の通院まであと2日ほどになったころに挑戦しました。
50mチャレンジで多少自信がついていたのか、スーパーまではわりとすんなり行くことができました。
だがしかしっ!!!
問題はここからでした。
スーパーには入ったんです。
入ったんですよ?
でも中に進めない!!!!!
そのスーパーは奥に長いレイアウトになっていたのですが、入口から5mほどのところから奥に進めないんです。
とりあえずカゴを戻し外に出て、スーパーの横にある自動販売機で水を買い、追加で抗不安薬を飲みました。
10分ほどうずくまった後、再度チャレンジ。
なぜか半目で必要なものめがけて全速力で歩き、それだけを手に取ってレジに向かいました。
だけど、なんとここからラスボス降臨!!!
レジ並んでられない並んでるのこわい動悸がするこわいこわいこわいはやくはやくやばいまじで意識遠くなるからはやくーーーーーーーーーー
もう家にたどり着いた時にはぐったり。
そのまま意識を失ったかのようにリビングの床に倒れこみました。
つづきます。
パニック障害になったきっかけ③
前回の記事はこちら
2年ぶりに戻ってきたあのパニックの感覚。
でも2年前は薬飲んだら治ったし、すぐ治るものだろうと思っていました。
とりあえずまた次同じような症状が出た時のことを考えて、最寄り駅の心療内科をチェックチェック。
チェックはしたものの、まぁ行くことないだろーなーって。
でもそのチェックが、この後すごく重要だったと気づくことになります。
数日後。
私はまた同じ得意先に伺うことになり、同じように電車を使って向かう予定でした。
最寄りの大きな駅まで歩き、改札を通り、電車待ちの多くの人と同じように列に並び、次に来る電車を待っておりました。
数分も経たないうちにやってきた電車。
降りてくる無数の人。
続いて乗り込んでいく列の流れ。
私もその列の流れに乗って電車に乗り込もう・・・・
乗り込も・・・・・??
なんか乗れない・・・
え、なんで?
なんかわかんないけど怖いんですけどw
まぁ電車は数分おきに次々やってくるし、次のに乗ればいっかと思い、また列に並びなおしました。
結果、次の電車も、その次の電車も乗れない・・・
電車にも乗ってないのに、早くなる鼓動、真っ白になっていく視界。
私は朦朧とした意識の中ふらふらとホームから改札のほうへ戻り、改札の隅でうずくまりました。
とりあえず電車に乗らなきゃ・・・
お客様のところに行かなきゃ・・・
頭の中はそれだけでした。
震える手で、親友に電話してみることに。
幸いなことに親友は電話に出てくれました。
「あのさ・・・電車に乗れないんだけど・・・」
『え?どうしたん??』
「自分でもわからないけど、なんか怖くて、目の前真っ白になって。。。」
『帰れないの?』
「いまからお客さんとこ行かなあかんのよ」
『じゃあさ、このまま電話つないどくから、私としゃべりながら乗る?』
「あぁ、それなら乗れるかな。ちょっとやってみる」
友達と通話したまま、私はホームに戻り電車を待ちました。
(話した内容はそれ以外一切覚えていませんw)
電車がやってきた・・・
「よし、今から乗るよ・・・」
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
いや無理・・・!!
『うんうん、ゆっくりいこやー』
「う、うん、じゃあ次の電車待つわ・・・ぜぇぜぇ』
結果、またその次もその次も乗れませんでした。
人でごった返すホームで、汗だくで泣きながらふらふらと歩く私の姿は、ほかの人の目にはどう映ったでしょうか?
改札の近くまで戻り、友達との電話を切った私は、とあるところに電話をかけました。
そう、それはいつかチェックしていた駅近の心療内科です。
それからのことは、正直ほとんど覚えていません。
覚えていることは、
・気づいたら病院にいたこと
・バウムテストをやったこと
これだけです。
どうやって病院まで行ったのか、どんな先生とどんな話をしたのか、どうやってお薬をもらったのか、病院から家までどのようにして帰ったのか。
思い出そうとしても思い出せません。
それから本格的な、私とパニック障害との闘いの日々が始まったのです。
つづきます。
パニック障害になったきっかけ②
前回の記事はこちら
今回はそれから2年後のお話です。
私はそのブラックな会社を退職し、個人事業主として自宅で仕事をはじめていました。
退職したことや個人事業になったことはパニック障害とは直接関係はなく、ただ自分がやりたいことが見つかり、それが個人で行うような仕事だったっていう理由です。
独立して1年目は本当に仕事が増えず、生活が苦しかった・・・
毎日お財布の中の小銭を数えて買い物に行ったり、レジで1000円札を渡す手がプルプル震えたり、そんな生活を送っていました。
でも独立して2年目。
本当に運がいいことに大口の取引をいただき、急にそれはそれは忙しい毎日を過ごすようになりました。
お金のほうもとりあえず生活するには困らない程度の収入がありました。
そんなある日。
電車に乗ってお客様の会社に向かっていたところ、なぜか駅と駅の間で電車がストップ。
『信号停止しまーす。しばらくお待ちくださいー』
電車に乗りなれない田舎者の私は、そうかそうかと納得し、読んでいた本に目を戻しました。
その時です。
ドクッ・・・ドクッ・・・・
あ、あれ・・・?
なんかこの感じ・・・
真っ白になっていく視界・・・
全身から噴き出してくる汗・・・
どんどん早くなる心臓の音・・・
そうです。
2年前に高速道路で味わった、あの恐怖がやってきたのです。
聴いていた音楽のボリュームを上げ、持っていた水を飲み、ぎゅっと目をつぶって治まるのを待ちました。
その時間がどれだけ長かったか。。
自分では10分くらいかかっていたような気がしますが、実際は2~3分のことだったのかもしれません。
やっと電車が動き出し、私は次の駅で下車しました。
さて、どうする・・・?
でもお客様との約束があるから、行かないわけにはいかない。。
朦朧とする意識の中で、そんなことを考えていました。
今の自分だったら『すみませーん。体調悪くなっちゃっていけなくなりましたー』って普通にいえるんですが、その時は『 行かなきゃ!!(使命感 キラーン)』みたいになっちゃってたんですね。
『すみません。。ちょっと時間に遅れそうです。。本当に申し訳ございません。。』
と涙目でお客様に電話をかけ、電車に乗っては降り、乗っては降りを繰り返し、なんとかお客様の会社に伺ったのは約束の1時間後でした。
幸いお客様からお𠮟りをいただくことはなく、無事仕事を済ませた私。
帰りも同じように、乗っては降りを繰り返しながら、なんとか家に帰り着いたのでした・・・。
続きます。
パニック障害になったきっかけ①
今回は、パニック障害になったきっかけを書いていきたいと思います。
それはさかのぼること12年前・・・
私はとあるブラック企業で働いておりました。
仕事自体はとっても楽しかったんですが、年間1/3は国内外への出張、会社に出社する日は決まって0時前後の帰宅。
定時ってなんやねんーーー!!!!
と思いながら毎日働いておりました。
また、一応管理職でもあったのですが、上司はすべて男性。
女のくせに って何回言われたことか。
じゃあお前がやれよ!!できるもんならなっ!!
ってなもんです。
そういう日常を過ごしていたある日のこと。
わたしは車で出張に行き、400kmの距離を運転しながら会社に戻っておりました。
まぁこれも毎月のことなので手慣れたものでして、鼻歌うたいつつポテチをバリバリ食べながら高速道路を運転していました。
ですがその日は何かがおかしかった。
突然目の前が真っ白に!!
何!?
めっちゃ心臓バクバクする!!!
やばいやばいやばい!!!
目の前がよく見えない中、なんとか路肩によけようと思ったら
なんやねん!ずっと路肩工事してるやん!!!
もうその時はわけがわからなくて、それこそ頭の中がパニック状態で、とにかく視界がはっきりするまでハザード出しながら時速30kmくらいでのろのろ運転しました。。
(後続車のみなさま、あの時はほんとにごめんなさい)
幸い会社まであと20分程度のところでの出来事でしたので、なんとか戻ることができましたが、あの恐怖ったらそれまで味わったことのないものでした。
どこか病気なのかな?と思い、数日後なんとなく内科を受診。
『パニック障害かもねー』と言われお薬をいただき、2週間ほど飲んだと思います。
その時はパニック障害なんて病気について聞いたこともなかったので、薬をのんでなんとなく治ったと思いました。
ただ、このことがあってから、出張の時に高速道路とくに長いトンネルがとても苦手になりました。
ですがこの時はまだ、数年後に本格的にパニック障害になるとは思いもしていませんでした。
つづきます。
【自己紹介】適応障害とパニック障害もちがブログはじめます
みなさんはじめましてーーーーーーっ!!
パニック障害歴 10年、適応障害歴 半年 の女、『ねむこ』と申します。
なんとなく日記的に記録を残していくかーということで、ゆるりとブログをはじめてみようと思います。
もうずいぶん昔にブログをやったことがあるんですが、まぁ私あるあるの3日坊主で終わったものです。
今回はゆるーっとメモ的に書いていこうとおもいますので、よかったらお暇なときに読んでいただけると嬉しいです。
簡単に私の自己紹介を。
・パニック障害歴 10年
・適応障害歴 半年
・アラフォー女
・未婚 だけど 同居人あり
・無職 ←(^^)
今は神様が「休みなさい!ねむこよ!」と申されていると思い込んで、なんとなく生きております。
パニック障害であることも、適応障害であることも、私の表面だけを知っている人からすれば 信じられなーい といわれます。
B型だからなのかな? 普段へらへらしてるからかな?
でも親友や私をよく知る人からはよく もっと人を頼りなさい って、そりゃーもうしょっちゅういわれます。(人を頼るって難しくないですか・・・?)
私と同じような症状(あえて病気とは書かない)でお悩みの方は、私と似たような性格の方もいらっしゃるんじゃないかと思います。
また真逆で、常に 石橋を叩いて叩いて叩き割る ような方もいるでしょう。
どんな性格であっても襲ってくるのが、この パニック障害 や 適応障害 の特徴じゃないかと思います。
このブログにたどり着いたそこのあなた。
いますごくつらいですか?
生きていたくないですか?
周りに相談できる人がいないですか?
もしそんな方がいらっしゃいましたら、ぜひコメント欄で吐き出していっちゃってください。
私もまだ治療中の身で、かつそんなに知識があるわけではありませんが、一緒になんとなく生きていきましょう。
経験者の方やそのご家族・お友だちのみなさんからのお話も聞けるとうれしいです!
それではこれからどうぞお付き合いよろしくおねがいいたします♪